NYレポート(2001年10月6日):
バリー・ハリスが料理する家族の為のジャズコンサート
in New York / 霧生ナブ子
10月6日・土曜日の早朝8:30AMにバリー・ハリスのジャズ合唱団のメンバーである私は眠い目を擦りながらマンハッタン43丁目6アベニューの角を曲がった所に位置するタウン・ホールに駆け込んだ。この日に行われたコンサート、「Barry
Harris Cooks Up Family Jazz (バリー・ハリスが料理する家族の為のジャズコンサート)」は、赤ちゃんや子供からおじいさん、おばあさんまで楽しめる、家族を対象にしたコンサートで11:00AMから行われた。この企画はタウンホールとニューヨーク市の文化推進課によって企画され、10月6日、20日、11月3日の3回シリーズによるものである。バリー・ハリスが子供達の為に楽しくわかりやすくアレンジ・作詞作曲したジャズを演奏し、ジャズの楽しさ、素晴らしさ、そしてアカデミックな部分までも紹介した。
出演者は、バリーハリス(ピアノ・指揮)、アール・メイ(ベース)、リロイ・ウイリアムス(ドラムス)、ロニー・ベンハー(ギター)、デビット・グラッサー(アルトサックス)、チャールス・デイビス(テナーサックス)によるセクステットと、ゲストにヴォーカリストのナンシー・マラノとタップダンサーのジミー・スライドを加え、40名を超えるジャズ合唱団、「バリー・ハリス・ジャズ・アンサンブル」と子供達によるコーラス隊(ニューヨーク市立の小・中・高校から集められた)による大編成のアンサンブルであった。
私はこのジャズ合唱団にここ数年間参加しているが、こういうコンサートを行う時にいつも「信じられないなあ・・・」と思う事は、バリー・ハリスの意向により、曲目や進行をその場で決める・・・即興(インプロビゼイション)で行うのである。歌われる曲目はもちろん前もって長年に渡るリハーサルによってレパートリーにされている。しかし、私達合唱団のメンバーをはじめバンドのメンバーも最初に何の曲をやるのかさえ知らない。バリー・ハリスが突然弾き始めるピアノのイントロをたよりに何の曲か判断し、歌い始めるのである。それが次にどのように催されていくのか、もちろんまったくわからないのである。そんな調子で最後まで、いつ終わるのかもわからずコンサートが進行する。何の曲で始まり、何の曲で終わるという情報がない為、気が付くとコンサートは「あっ」という間に終わっていて、その上「想像もしていなかった楽しい時間を過ごした!!」という気分であった。
1曲目はバリーのオリジナル曲、「ウィー・アー・ワン(僕達はひとつ)」。この曲はジャズ合唱団のテーマソングの1つとも言える、美しいバラードである。2曲目の「ビック・フット・カンガルー(デカ足のカンガルー)」は子供達にも覚えやすい、かわいくて元気なスイングのジャズソング。会場で配られていたプログラムの中に歌詞が書いてあり、それを見ながら一緒に歌おう!とバリーが客席に声をかけた。1回歌い終わった後、「どうだい?覚えたかね?」というバリーの問いかけに客席から「会場が暗すぎて字が見えなかったよ!」との答えが有り、客席のライトを少し明るくすると舞台の上のミュージシャン達とお客さん達の距離がぐんと近くなったように感じた。3曲目はジャズミュージシャンなら知らなくてはならない「リズム・チェンジ」から成るレパートリーの中から「ラフィン・イン・リズム(笑いのリズム)」。この曲はメロディーはほとんどなくて、笑い声をジャズのリズムに乗せて、「は、ははっはっはっは・・は、ははっはっはっは・・」と歌う楽しい曲で、特に小さい子供達は大喜びで参加していた。
次にゲストシンガーのナンシー・マラノを迎え「ア・フラワー・イズ・ア・ラブサム・シング(花とは愛らしきもの)」というデューク・エリントン楽団のビリー・ストレイホーンが作曲した美しいバラードをしっとりと歌い上げた。バリーが間奏で弾いたピアノのソロも、星がこぼれ降って来るような美しい音色で子供達を含むお客さん達は静かに聴き入っていた。次にナンシーが「昔、娘が小さい頃、私によく言ったものだわ・・ママ、意地悪ね(ミーン・トゥ・ミー)って・・」と語った後、「ミーン・トゥ・ミー(意地悪なあなた)」をスイングのリズムで歌った。その後、またもや子供達が参加出来るバリーのオリジナルソング「ザ・アルファベット・ソング(ABC)」で遊びながら歌う楽しさを紹介。アイデア的には、日本でも良く知られているABCの歌(メロディーがきらきら星)と同じようなものだが、ABCDノ.と歌った後、逆からZYXWノ..と歌うところでみんな(バリーも含め)引っかかってしまう。「僕も練習しなきゃ歌えないよ。」と言い、テンポをゆっくりにして何度か練習するなど、ちょっとイタズラの利いた楽しい歌であった。
今回のコンサートの中でゲストにタップダンサーがいる事には深い意味がある。プログラムの中にも書かれていたが、タップダンスはジャズと同じぐらい歴史が古く、特にアフリカから奴隷として連れて来られた黒人たちが自分たちの種族が持っていた独特の伝統的リズムを忘れないように足で叩く事によって始められたと記されていた。ジャズが黒人によって発展し、アメリカにとって大きな文化的遺産であるようにタップダンスも黒人達のリズムによって発展し、ジャズとも深い関わりを持っているのである。バリー・ハリスが「世界で1番素晴らしいタップダンサー、ジミー・スライド!」と紹介した。ジャズピアニスト、ホレス・シルバーの曲「ストローリン」に乗って踊った彼の体には羽が生えているかのように軽やかで、70歳を超えているとはとても思えないマスターならではのワザであった。その踊りはブロードウェイのショーなどでお馴染みの振り付けをされたタップとは違う、ジャズの音楽の中に楽器として溶け込んだ完璧なインプロビゼイション(即興)で、踊りと同時に演奏であった。
ジミーがバリーに「何かラテンのリズムの曲をやってくれ」と言うと、バリーがベーシストに「ヒヤ・イズ・ザット・レイニー・デーはいつも何のキーで弾いてるか?!Gのキーか?
」とピアノの所から叫んでみたが聞えないようで、仕方なくバリーだけが弾き始めた。バリーにとって段取りを決めず本当にすべてがライブ(生)で即興で行われるという事にこだわりがある事を深く感じた。
ジミーの素晴らしいタップダンスを楽しんだ後、バリーが「子供達の中でタップダンスが出来る者、舞台の上に来なさい。」と言うと黒人の小・中学生の女の子達が積極的に舞台に上ってきた。バリーがタップダンサーの為に作曲したオリジナルソング「タップ・タップ」と共にジミーがその場で簡単な振り付けのタップを子供達に教え、舞台の上は瞬く間にタップ教室になった。舞台の上の子供達もそれを客席から見ていた親達も大喜びで楽しんでいた。
バリーが「次は泳ぐゾ!!」と叫ぶと、50年代後半から60年代に流行った、ジョン・ウォーターズ監督の映画「ヘアー・スプレー」にも出てきた「スイム・ダンス」を客席の人達を立ち上がらせ踊らせた。客席の中からドラムがたたける男の子2人を舞台に上げ、交互にこの「スイム・ダンス」と共にドラムソロをプレイさせた。「心臓が飛び出そうなほど緊張した!」と1人の男の子が言っていた。最後にバリーがスタンダード曲「エンブレイサブル・ユー(抱きしめたいあなた)」と同じコード進行にメロディと歌詞をつけた「バリーのエンブレイサブル・ユー」を本人自ら歌った。エンディングの最後の所で混声4部でハーモニーを作る所があり、客席にソプラノはこの音!アルトはこの音!と指導し、全員の合唱と共にコンサートの幕が閉じた。
私が日本にいた時の事を思い出してみると、日本の中でジャズという音楽の存在は基本的にショービジネスの世界の中であった。教育とか子供達とかとは全くかけ離れた音楽であったと思う。このコンサートは私が小学校の時、渋谷公会堂で見たオーケストラの楽器の説明と演奏を同時に行った「カルメン」や「ペールギュント」のコンサートとまさに同じ様なもので、ジャズがアカデミックな文化として、子供達に紹介されるべき音楽として扱われていた。バリー・ハリスが彼のテイストで料理したこのジャズコンサートは、歴史やビー・バップをスパイスにし、小さな子供からお年寄りまで楽しく身近に感じられジャズ、でも流行り廃りのない伝統芸術としてのこだわりジャズを知るチャンスの有った素晴らしいコンサートとして成功であったと思う。 |